フィリップ・K・ディック 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」②
みなさんこんにちは、Yugoです!
今回のブログでは、前回に引き続き
フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」
に関して記事を書きたいと思います。
前回同様、ネタバレ含みます。
目次
P177
「彼女はすばらしい歌手だった。この世界は世界を活用できたんだ」
ここでリックが指している「彼女」とはルーバ・ラフトのこと。ルーバ・ラフトはオペラ歌手です。アンドロイドを探していたリックがオペラハウスを訪れると、そこには「魔笛」のリハをしているラフトが。ラフトの素晴らしい声色にリックは聞きほれてしまいます。
しかしその後、ラフトが脱走アンドロイドの一員であり、処理される対象であることが明らかになります。
アンドロイド(ロボット)と人の境目とは何なのでしょうか。
人が芸術を鑑賞する理由はいくつもあります。
- 愛しい思い出を記憶するため
- 辛い人生に希望をあたえる
- 悲しみを受け入れる
- 欠けている感情を補いバランスを取る
- 混沌とした自分自身を理解する
- より良い人生を探求する
- 欲望や不満を感謝の気持ちへと変える
引用:アラン・ド・ボトン/ジョン・アームストロング「美術は魂に語りかける」
芸術から多くの恩恵を人間は受けます。これは私自身の体感(あまり芸術に関する知識はありませんが、、、)としても、そして専門家の意見としてもですし、皆さんも感じた経験があると思います。
恩恵を受ける側ですら、感情に訴えかけられる芸術に関して、提供する側がある程度以上の豊かな感情を持ち、理解を促せるような人物であることは必要な条件と思います。アンドロイドが芸術を人間に提供できるのだとすれば、人とアンドロイドを分けるものとは何なのでしょうか。
芸術の専門家たちは違い(チューリングテストのような)に気付けるかもしれませんが、僕には気付けない気がします、、
(AIが小説も書ける時代ですから)
P225
「これで、あの羊はニセモノだと、みんなに白状できる」「そこまですることはないだろう」「でも、そうできるのよ」
「できるけどやらない」と「できない」のは心のゆとりの面から大きく異なると思います。(「できる」をやってないけどできる気がすると勘違いしないようにしないとですね)
心のゆとりに関しても様々な側面があると考えていまして、優越感も一つのゆとりだと思いますが、己の意思で選択できる点が最も気持ちのマージンを大きく創り出す点だと思います。
私たちが選択できるというのは非常に幸せなことである点は、常に忘れないようにしたいです。
(ジョージ・オーウェルの小説を読んでいても特に感じる点です)